志の助のこだわりの器

鮨 志の助のこだわりの器をご紹介いたします。

上出長右衛門

志の助
志の助
志の助
上出長右エ門窯は明治十二年、石川県能美郡寺井村(現石川県能美市寺井町)にて創業。
昔ながらの手仕事で日々の食器から茶陶まで一点一線丹誠込めて伝統を現代まで守り続ける。
彩り鮮やかな上絵付けと深い発色の染付け、丈夫で美しい生地が特長。
主に美術工芸品、割烹食器、日用食器を製造。

須田菁華

志の助
志の助
志の助
明治39年に菁華窯を築き、染付、祥瑞、呉須赤絵、古赤絵、古九谷などの倣古作品を得意とした。
その名(号 菁華)のとおり染付作品は秀でている。
大正4年には、菁華窯を訪れた北大路魯山人が初めて陶芸に触れ開眼していることで有名。

三ツ井為吉

志の助 伝統的な古九谷様式の絵付けが特徴。
大胆な構図と五彩(赤・青・黄・紫・紺青)を用いた華やかな色彩。
豪放華麗と称される古九谷の伝統的なスタイルを貫き、現代に生き生きと再現する作風は支持され続ける普遍性をもっている。

山本長左

志の助 山本長左が用いる素地は、今ではあまり使われていない型打のものが多い。非常に薄く、味のある形状のものが多い。
呉須という顔料を使用した染付けが主流。
同じ藍色でも、古伊万里を思わせる落ち着きのある藍色。
主に食器が中心で、載せる料理を際立たせる器が多い。

初代徳田八十吉

志の助 明治-昭和時代の陶芸家。
明治6年2月20日生まれ。
荒木探令に日本画を、義兄の松本佐平に九谷焼の絵付けをまなぶ。
陶画業をいとなみながら釉薬の研究をすすめ、深厚釉というあたらしい色調の彩釉を創製した。
銘は九谷八十吉。
昭和28年無形文化財保持者。

二代徳田八十吉

志の助 二代目徳田八十吉は、1923年に初代の養子となり師事する。
1956年、二代目徳田八十吉を襲名。
九谷焼の近代化を推進した。
1988年、八十吉の名を長男に譲り百々吉を名乗る。
初期の号は魁星。

石野竜山

志の助 明治-昭和時代前期の陶芸家。
中浜竜淵、垣内雲りんに絵画を、八田逸山に陶画をまなぶ。
明治16年から陶画業をはじめ、九谷焼の緻密な人物・山水などを得意とした。
のち上絵釉で釉下彩とおなじ効果をだす彩料を工夫した。

川田稔

志の助 京都にて会社勤蕎の後、帰郷。
石川県九谷工芸高等訓錬校に入学率業後、九谷焼技術像存会会員吉田荘八の陶房に六年勤務ののち独立。

中島珠光

志の助 創造美術会北陸支部長、陶芸部審査委員
元名誉会員

二代松本佐吉

志の助 昭和3年、小松の初代松本佐吉の養子に迎えられ、松雲堂四代を継ぐことになる。
早くに陶画を梅田梅光に学び、先代佐吉には九谷の伝統技法を伝授される。
後に玉井敬泉に絵画を、板谷波山に陶彫・象嵌などの指導を受ける。
また、独自の釉裏金彩の手法も確立する。

二代浅蔵五十吉

志の助 大正2年、能美群寺井生まれ。
昭和3年、初代徳田八十吉に師事、同21年北出塔次郎に師事して、色絵技術を学び、独自の現代九谷焼の世界を作り上げる。
従来から色釉に一層の工夫を重ね、「浅蔵カラー」と呼ばれる独特の深くて渋い色絵の世界を確立し、独自の作風を確立した。
晩年はプラチナを使った気品あふれる作品を発表した。

武腰一憲

志の助 九谷焼の名工・九谷庄三の直系で、九谷焼の将来を担う期待の作家。
現代的な新感覚の作風が多い。
伝統の風合いを大切にしながらも、モダンで斬新な作風は大変人気。

越田健一郎

志の助 日展評議員
日本現代工芸美術家協会会員
石川県陶芸協会理事